未だ日も昇らぬ、早朝のヴワル魔法図書館。パチュリーは、腰の痛みで目が覚めた。
「………」
 椅子に座ったまま寝た為である。ゆっくりと顔を上げ、覚醒しきっていない頭を振る。しばらくして頭が回転を始めた所で、さて自分は昨日何をしていたのかを、思い出そうとした。
「…………―――!!」
 そして、思い出した。…しかし、思い出したくはなかった。それは、とても残酷な事だったから。
 ふと、机の上の涙の跡に気付く。そうだった。昨日は自分でも吃驚する程、涙が止まらなくて。それで、泣き疲れて眠ってしまったのだと。
「魔理、沙―――」
 またしても、涙の感触。
 悲しみは、まだ止まらなかった。



「…魔理沙、大丈夫?」
「んー…まあ。たぶん、ただの風邪だと思うけど」
 冬も段々と深まってきたある日の朝。魔理沙が熱を出した。
「ホントに…?」
「そんなに心配するなよ…。霊夢まで元気が無くなったら、困る」
「…うん、そうだね……」
 霊夢は儚げに微笑むと、立ち上がった。
「氷水、用意してくる。ちょっと待っててね」
「ああ、頼む」
 そのまま台所へ向かう。献身的な看病に感謝しながら、魔理沙は目を瞑った。
(最近、加速度的に体調が悪化している……)
 魔理沙が考える事。それは、自分の体調の事。そして、霊夢の事。
(霊夢は、気付いているのか?)
 それが一番の気がかりであった。普通だったらもう治っていてもおかしくはない魔理沙の体。それがこの時期になってもいまだ床に臥せっている状態である。どう考えても、おかしいと思うだろう。
(それとも…)
 まさか、霊夢はとっくに気付いていて、それでも気付かないフリをしているのかも―――だとしても何故?
(私を、心配させないため…?)
 こればかりは霊夢に直接聞かないと分からない。しかし、魔理沙は聞く事が出来なかった。
 もし霊夢が本当に知らなかった場合、自分の状況を伝える事は、霊夢に相当のショックを与える事となるからだ。
(…どうすればいいんだ…)
 考えあぐねていたその時。ヒヤリと何か冷たいものが、魔理沙のおでこに触れた。
「なに―――」
 慌てて目を開ける。するとそこには、
「…こんにちわ。魔理沙」
 パチュリーがいた。その手は、魔理沙のおでこを触っている。
「うおっ…どうしたんだ? 急に神社に来たりして……」
 そう言ってから、パチュリーの目が赤い事に気付く。どうしたんだ、と聞きかけた時。
「……あれ? パチュリー?」
 台所から、霊夢が戻ってきた。
「…こんにちわ。霊夢」
「…どうしたの? 借りた本ならまだ―――」
「二人に、話があるの」
 はっきりと、告げた。その声の調子から、魔理沙はパチュリーが何を言おうとしているのか、察知した。
「待てパチュリー。それは……」
「…いつかは言わなきゃならない事なのよ、魔理沙」
「………」
 確かにそうだった。だが、心の準備が出来ていない。特に霊夢の。でも―――
「…分かった。パチュリー、言ってくれ」
 心の中で、霊夢に謝る。
(ごめん霊夢。私は霊夢に、残酷な事を―――)


「―――霊夢。魔理沙の命は、もう、長くないわ―――」


 とうとう告げられた。死神の鎌に等しい言葉。呪文(スペル)とは、よく言ったものだ。
「――――――」
「――――――」
「――――――」
 時が、止まった様な静寂。否、これがあのメイド長の力によるものだったら、どんなに気が楽だったか―――
「この前ここに来た時に、魔理沙に聞いたのよ。魔理沙が―――」
「―――パチュリー。何、それ?」
 霊夢の言葉が、魔理沙の胸に刺さる。
「冗談にしては、笑えないわよ」
 その声は、笑っていない。
「霊夢、冗談じゃ―――」
「全く、急に来たと思ったら…変な事言わないで頂戴」
「聞いてよ―――」
「はいはい、私は魔理沙の食事を作らなきゃならないから、後でね」
 パチュリーの言葉に耳を貸さず、霊夢は立ち去ろうとする。
「待ってくれ、霊夢―――」
 引き止めようと、魔理沙が起き上がり手を伸ばす。そして、霊夢の袴を掴んだ、その時―――
「! ゲホッ! ゲホッ!!」
 激しく、咳き込む。
「!? 魔理沙!!」
「魔理沙!!」
 駆け寄る二人。そして、見た。畳に零れた、血―――
「―――!! 魔理沙、これって……!?」
「魔理沙…あなた、ここまで……!?」
「………ああ………」
 ぎこちない笑顔を浮かべる魔理沙。
「何で……!? 魔理沙、何でよ………!?」
「霊夢…だから、さっき言った通りなのよ……」
「!!!」
 霊夢の目が見開かれる。
「魔理沙の命は、もう―――」
「どうしてっっ!!」
「!!」
 叫ぶ霊夢。パチュリーの言葉を、遮る様に。
「どうしてっ!? どうして魔理沙がこんな目に会わなきゃならないのっ!? どうしてっ!? 分からない! 分からないよっっ!!」
「…霊夢…」
「説明してよっ!! ねえパチュリー!! 知ってるんでしょっ!?」
 パチュリーに掴みかかる勢いの霊夢。
「霊夢っ! 落ち着け……!」
 魔理沙が、霊夢を抱き留める。
「魔理沙……!」
「頼む…」
「う……うう………うわああああ………!」
 肩を震わせ、涙を流す。魔理沙は、優しく抱きしめる事しか出来なかった。


「………パチュリー。どうして………魔理沙が………?」
 一応落ち着きを取り戻した霊夢が、問いかける。パチュリーも辛いらしく、俯きながら答える。
「原因からいうと……レミィなの」
「え―――レミ、リア…?」
 その時霊夢の頭をよぎったのは、あの夏の惨劇。正気を欠いたレミリアが、魔理沙を瀕死に追い込んだ、あの事件。
 しかしその件に関しては、霊夢も魔理沙もレミリアを必要以上に責め立てる事も無く、後に残ったのは魔理沙の養生だけのはずだった。
「レミリアが、何かしたの……!?」
 確かにあの時魔理沙は酷い怪我を負ったが、それはパチュリーと美鈴、霊夢の看病によって治るもののはず。では、それでも治らないものとは―――
「―――『スカーレットの呪い』。それが、魔理沙を蝕むもの………」
「呪い―――?」
 そう。呪術的な要因は、いくら治癒魔法でも治す事は出来ない。解呪魔法の類が必要となる。
「『スカーレットの呪い』……それは数ある吸血鬼の一族の中で、スカーレット一族が特に畏怖されている理由よ……」
「でも呪いだったら、パチュリー、あなたの知識で何とかなるんじゃ…!」
「そう思って調べたわ…! でも駄目なの……! スカーレットの呪いは、桁が違うのよ……!!」
 溜まっていた感情を吐き出す様に、パチュリーが叫ぶ。
「図書館中の書物を調べたわ……! でも書いてあるのは、この呪いがどんなものかという事ばかり……!! 解呪方法が、無いのよ―――!!」
 パチュリーは手を握りしめ、悲しみを堪える。しかし、涙は止まってくれなかった。
「…パチュリー…」
「私だって、信じたくないよ…! 魔理沙が…居なくなっちゃうなんて、嫌よ………!!」
「パチュリー……ごめんな。辛い思いさせちまって……」
 魔理沙がパチュリーの頭を撫でる。
「……レミリアは……」
 霊夢の声。心なしか、冷たい。
「レミリアは…『スカーレットの呪い』を知っていて使ったの……? もし、そうだったら…私、レミリアの事……」
 声が震えている。
「…違うわ。文献によると、スカーレットの呪いを自由に使う事が出来た者はいないって…。精神の均衡を欠いた時、無意識的に発動するものらしいわ…」
「……そう……」
「そしてその呪いは使った者自身でも治す事は出来ない……その結果は、見ての通りよ……」
 パチュリーが、魔理沙を見る。
「呪いに侵された者は、徐々に衰弱していく…表向きは原因不明の病死に見えるわ……。単純にして、恐ろしい呪いよ…」
「……魔理沙……」
 霊夢も魔理沙を見る。いつもの同じ風に見えるのに。そんな体になっていたなんて……
「ねえ、魔理沙…。いつから、異常に気付いていたの…?」
「…いつからかな。たぶん、秋頃かな…? 何かが私の命を削っていく…そんな感覚がしたんだ」
「…! そんな前から…!? どうして、言ってくれなかったの…!?」
「どうしてって………言える訳ないだろ…そんな事、お前に……」
 魔理沙が、寂しげな笑みを浮かべる。
「…そんな。言ってくれたって、よかったのに…!」
「心配させたくなかったんだ。でも、結局こんな事になっちまったな…ごめんな……」
「…ううん…いいの……」
 霊夢が首を振る。
「でもこれからは、私に遠慮しないでね? 私、逃げないから………」
 そう言って、魔理沙を抱きしめる。
「―――ああ。ありがとう―――霊夢」
 

 全てを告げた後、帰り支度を始めるパチュリーを、霊夢は玄関で引き止めた。
「パチュリー、今日は来てくれてありがとう」
「そんな…私は残酷な事を言いに来ただけよ……」
 パチュリーは首を横に振った。
「でもあなたが言わなければ、私は何も知らないまま魔理沙を失う事になっていたわ。もし後で知ったら、私、一生後悔していたかも」
「…霊夢」
「それと…魔理沙の為に、色々調べてくれてありがとう」
「でも…何も、出来なかった。結局、二人を悲しませる事に―――」
 パチュリーの表情が曇る。
「いいのよ。おかげで、大切な事を気付かせてくれたわ」
「え……?」
「私が魔理沙をどんなに想っているか、っていう事よ。これだけは、どんな事があっても変わらないと思う…」
「ふう…いいわね、魔理沙は」
「えっ?」
 不意に、パチュリーの表情が明るくなった。
「こんなに想ってくれている人がいるんだもの……。あなたなら、魔理沙を幸せに出来るわ…いえ、もう幸せなのかも」
「……パチュリー……」
「で・も。魔理沙を想っているのは、霊夢だけじゃないんだからね?」
「へっ?」
 パチュリーの悪戯っぽい笑み。
「…ふふ。何でもないわ。さようなら」
「………あ」
 霊夢が面食らっている間に、パチュリーは神社を後にした。残ったのは、冬の寒風。
「…さようなら、パチュリー………魔理沙は、私が必ず―――」
 風のさらわれる霊夢の言葉。しかし、その言葉は確かに霊夢の瞳に光を灯した。


「治す方法は、本当に無いのかしら?」
 夜。霊夢はこう切り出した。
「何だ? やぶから棒に」
 布団から体を起こし、霊夢の顔を見る魔理沙。
「その呪い…どうにか出来ないのかしら?」
「……どうなんだろうな。分からない……」
「…魔理沙。私、嫌なの」
 霊夢はうつむき、魔理沙の服の袖を握る。
「何もしないで魔理沙を失うなんて、絶対に、嫌」
「霊夢……ありがとう。でも、今日はもう疲れただろ? 明日になってから考えればいい……」
「でも……!」
 顔を上げる霊夢。その口を、魔理沙の唇が塞いだ。
「んっ………!?」
「…いいから今日は休むんだ…。正直、私も結構参ってるんだ。…分かってはいた事だけど、はっきりと言われると、辛いんだな……」
「―――!!」
 そう言った時の魔理沙の表情。それは、霊夢の心を鋭く抉る。
「訳も分からないまま死ぬんだったら、まだマシだったのかもしれない……。でも、この呪いは『分かってしまう』……。自分がどうなってしまうのかを」
「魔理沙……」
「だから、怖いよ。パチュリーの前では平気な風だったけど……でも、やっぱり」
 がばっ!
 魔理沙が、霊夢の体を引き寄せた。そのまま、力一杯抱きしめる。
「………!!」
「霊夢………私は………………私はっっ………っっ………!!」
 声が震える。どうしようもない感情が、嗚咽と共に溢れ出した。
「魔理沙っ……!」
 止まらない。抑えていたものが、次から次へと―――
「うあっ………うああああっっ……………ああああああっっっ………………………!!!」
 泣きじゃくる。癇癪を起こした子供の様に。
 霊夢は、魔理沙の体を優しく抱く。
 悲しみを、受け止める様に。悲しみに、押し潰されない様に―――

「……ごめん、霊夢。服、汚しちゃったな……」
 霊夢の巫女服の肩口は、魔理沙の涙で濡れていた。
「いいのよ、これくらい。替えならいくらでもあるし。それより…落ち着いた?」
「ん? あ、ああ…」
「そう、よかった」
 微笑む霊夢。そして、魔理沙に口付ける。
「…あ」
「ねえ、魔理沙……私、頑張るからね」
「え…」
「さっきも言ったけど、何もしないで魔理沙を失いたくないもの…だから、頑張る。何が出来るか分からないけど……」
「霊夢…」
 強い決意の言葉。そんな霊夢の姿が、魔理沙の心を奮わせる。
「ああ。私も…頑張るぜ。ただであの世に行けるかよ…!」
「うん……!」
 そして、どちらともなく唇を近づける。


 どれ程の時間が残されているのかは、分からない。
 それでも、その間、出来る限りこの人と、一緒にいる。この人を、愛する。
 それが、私の、私達の、せめてもの、願い―――


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Last-modified: 2018-01-07 (日) 04:56:13 (2294d)