「それでは私は休ませて頂きます、お嬢様」
「ご苦労様、咲夜」
 ここは紅魔館。咲夜はこの館の主人に一日の仕事の終わりを告げると、自室に戻っていった。
「………それじゃあ、出かけようかしら………」
 それを見たレミリアは、お出かけの準備を始めた。
 部屋の大窓をそっと開け、夜の幻想郷の空へと飛び出す。勿論誰にも内緒で。
 目的地は、博麗神社。


「あれ…暗い」
 訪れた神社の巫女の家は、しかし闇に閉ざされていた。
「いつもはこれくらいの時間なら明かりが点いてるんだけど…もう寝ちゃったのかしら?」
 確認の為に、レミリアは家へと近付いた。
 と、そこで、人の声が聞こえた。―――二人分の。

「―――――――――――――――霊―――――――」
「――――――――理――――沙―――――――――」

 その声を聞いた瞬間、レミリアは家の中で何が行われているのかを、理解してしまった。

 ―――理解など、したくはなかったのに。

「――――――――――――!!!」
 レミリアは、自分の心が酷く冷えていくのを感じた。五百年の長き歳月を過ごした身であったが、心は今だ幼さを残した少女のもの。その心が、現実を受け入れる事を拒んだ。

 レミリアは、神社を飛び去った。紅魔館に帰る途中、何かしらの妖怪と遭遇したはずだけれど、良く憶えていない。
 だって、顔を見る前に、消し炭にシテしまったんだもの――――――




「魔理沙、起きて」
「ん……あ? …もう…朝か……?」
 ここは、博麗神社。普段は巫女が一人で住んでいるのだが、今日は魔女もいる。
「早く起きて。朝食、作っちゃったんだから」
「…もうそんな時間か?」
「私は早起きなの。朝食くらい一緒に食べてくれたって、いいでしょ?」
「あ、あー…まあな」
 霊夢の一言に、魔理沙は布団からのそのそと起き上がる。
「ほら早く、服着てよ」
「あ、ああ」
 自分が裸である事を思い出し、少し顔を赤らめる魔理沙。見ると、霊夢の顔も少し赤い。
「そ、それじゃあ着替えるから、ちょっと向こうへ行っててくれないか?」
「え、ええ」
 そそくさと台所へ向かう霊夢。その後ろ姿を見送った後、魔理沙はそそくさと着替え始めた。

「ごちそうさま」
「お粗末様でした」
 卓袱台には、綺麗に片付けられた食器が二つづつ置かれていた。
「美味しかった?」
「私は和食派だぜ。勿論、美味かったよ」
「そう、よかった」
 嬉しそうに微笑む霊夢を見て、魔理沙もつられて笑みが零れる。そんな平和な食卓だった。


「もう行くの? 魔理沙」
 居間で身支度を整えている魔理沙に、霊夢が尋ねた。
「ああ、ちょっとな。紅魔館に行ってくる」
「紅魔館? 何で?」
 首を傾げる霊夢。
「この前借りた魔術書を返しにな。パチュリーの奴が、返却期限がどうのこうのと五月蝿くてな」
「ああ、なるほど…」
「さて、そろそろ行くぜ」
「あ、うん………」
 不意に寂しげな表情になる霊夢。
「霊夢」
 そんな霊夢に、顔を近づける魔理沙。
「んっ………」
 唇に、軽くキス。
「心配するなよ。以前みたいに無闇やたらに攻撃される訳無いんだからさ。それにまた、帰りに神社にも寄るしな」
「うん……」
「それじゃ、行ってくるぜ、霊夢」
「…いってらっしゃい。…気を付けてね! 魔理沙!」
「おう」
 そうして、魔理沙は神社を後にして、紅魔館へと飛び立っていった。
「……気を付けてね……」
 残された霊夢は、一人呟く。微かな不安と、何故か感じる嫌な予感を胸に残しながら………


「また来たの」
「そりゃ来るぜ」
 紅魔館の中に存在する、ヴワル魔法図書館。図書館の主、パチュリーはいつもの様に、あんまり面白く無い、といった表情で魔理沙を迎えた。
「貸した本を返して欲しくないんだったら、ここには来ないぜ」
「それは止めて」
 このようなやり取りも、いつもの事だった。
「で、今度は何を借りていくつもり?」
「よくご存知で」
「当たり前でしょ」
 やっぱりいつものやり取りをしながら、本棚をあさる魔理沙。パチュリーも止めはしなかった。
「これ、借りてくぜ」
 そう言ってパチュリーの前に差し出された、数冊の本。
「えーと……『東洋の魔術』…『巫女の歴史』…『和食大全』?」
「いいか?」
 魔理沙が尋ねてきたが、パチュリーは不思議そうに返した。
「いいけど……魔理沙って、東洋系の魔術もやるつもりなの? 他の本も…これじゃあまるで、あの紅白みたいな」
「霊夢だ」
 パチュリーの言葉を、魔理沙が突然遮った。その口調に少し驚いたパチュリーだったが、すぐに言葉を続ける。
「…そうね、霊夢だったわね。ごめんなさい」
「あ、いや」
「……そう、そういう事……へえ……」
 急にジト目になって、魔理沙を見るパチュリー。口の端が、微かに上がっていた。
「な、何だよ」
「…何でもないわ…ふふ。じゃあ、二週間後にはちゃんと返してよ?」
「あ、ああ……」
 釈然としない様子の魔理沙だったが、本を受け取るとそそくさと出口へ向かっていった。

「…魔理沙ってば、中々やるのね…」
 パチュリーは、一人薄暗い図書館の中で呟く。
「そう言えばレミィも少しおかしかったわね…。あんな本を借りるなん……て………?」
 不意にパチュリーの顔が、神妙なものになる。
「魔理沙………レミィ………そして霊夢………………まさか…………?」
 ガタッ!
 瞬間、パチュリーの頭の中にある推測が出来上がった。その推測の恐ろしさに、思わず椅子を倒して立ち上がってしまった程だ。
「まさか……でも…今朝のレミィの様子は………」
 その時。背中を撫でられる様な、ぞっとする悪寒がパチュリーの体を走りぬけた。
「!! これは……レミィ!? やっぱり………!!」
 推測が確信へと変わり、パチュリーは急いで図書館を出ようとした、が―――
「…! 開かない…!?」
 図書館の扉は、固く閉ざされていた。いくらパチュリーが非力だといっても、扉を開けられない程弱くは無い。
「これは…魔法による結界!? …この魔力……! レミィ、あなた……!?」


「あ、魔理沙だ」
「ん? ああ、レミリアじゃないか。こんな所で何やってんだ?」
 帰りの廊下で、魔理沙はレミリアに後ろから声をかけられた。
「何って、散歩よ」
「館の中をか?」
「外はまだ、私には辛いわ。それに今日は、日傘を差してまで外を歩こうとは思ってなかったし」
「ふーん」
 レミリアの答えに納得し、魔理沙はまた歩き出した。が、
「ちょっと待って。来て欲しいの」
 レミリアに止められた。
「何だよ、私は忙しいんだぜ」
「霊夢に関する事よ」
「……何?」
 魔理沙の足が止まった。
「…ついてきて」
「…分かった」


 魔理沙が連れてこられた所は、別段どうと言う事は無いが、大きな扉の前だった。
「何だ、こりゃ」
「部屋に入って。中で話すわ」
「………」
 訝しげな顔をする魔理沙だったが、ここまで来て帰るというのも悪い気がして、大人しく部屋の中に入っていった。

 部屋の中は真っ暗で、何も見えなかった。
「おおい、何だこりゃ―――」
 バタン!
 乱暴に、扉が閉まる音。そして、次の瞬間―――
「―――!!」
 魔理沙に襲いかかる、二つの感覚。一つは、部屋だと思っていた空間が、果てしなく広がる感覚。

 そしてもう一つは、怖気をふるうような、研ぎ澄まされた、殺気―――

「なっ……何だ……! お、おい、レミリアは……!?」
 慌てる魔理沙。その問いに、闇の向こうからの声が、答えた。
「ようこそ魔理沙。私の結界空間へ。ここには私達以外誰も居ないし、誰も外から入ってくる事は出来ない」
 その声の主は、誰あろうレミリアだった。
「なっ…どういう事だ……!?」
「これで心置きなく………………あなたを………殺 せ る わ」
 ドバアッッ!!
「!!!」
 突如として魔理沙の眼前に広がる紅い光。それは、レミリアの容赦無い弾幕と、彼女の瞳が放つ色だった―――


「あ、霊夢さん。こんにちわ」
「こんにちわ。美鈴」
 紅魔館の正門に、霊夢は来ていた。
「今日はどうしたんですか?」
「いえ、ちょっとね。…そう言えば、魔理沙、来てない?」
「魔理沙さんですか? 来ていますよ?」
「どこに居るの?」
「多分、図書館だと思いますけど…」
 その時美鈴は、霊夢が妙にそわそわしている事に気付いた。
「そう、ありがと。それじゃ、行くわ」
「あ、待って下さい。私も行きます」
「…あなた、門番じゃないの? 持ち場を離れて大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。客なんて、あなた達以外ほとんど来ませんから」
 胸を張って答える美鈴。この時、美鈴は何故か霊夢についていこうと思ったのだった。
「…あんまり胸を張って言う事じゃないと思うけど」
「そうですよね…」
「それじゃ、行きましょ」
「あ……はい」
 そして、二人は紅魔館へと足を運んだ。


  *  *  *


「くっ……!!『マスタースパーク』ッ………!!」
 ゴオオオオッッ………!!
 魔理沙の放った光の奔流が、目の前の弾幕と、レミリアを呑み込んでゆく。
「ハア、ハア……ど、どうだ?」
 もう何発目かのマスタースパーク。残りは、殆んど無かった。
「鈍すぎるわ…」
 その声は、背後から聞こえた。
「!!」
「『千本の針の山』」
 ザアアアアッ……!
 無数の針とナイフが魔理沙を襲う。
「くっ…! ああっ…………!!」
 刃物の嵐を紙一重で避ける魔理沙。しかし、一部は魔理沙の体を掠め、服を裂き、血を流させる。
「レミ、リア……何で、こんな事………」
「あなたは昨日の夜、何をしたか憶えてないの?」
「!!」
 昨日の夜は、霊夢と―――
「何で、知って……?」
「………………………霊夢は………………私の………もの…よ………」
 そう呟いたレミリアの瞳が、再び真紅に染まる。
「!?」
「あなたなんかに、渡さないわ!!!


 ―――――――――――――――――――――――――『紅色の幻想郷』!!!!」

 魔理沙の視界が、紅に染まった。


  *  *  *


「!? お嬢様!?」
 廊下の掃除をしていた咲夜は、強烈な妖気を感じて手を止めた。
「咲夜!」
 急に呼ばれて振り返ると、そこにはフランドールが立っていた。
「咲夜、どういう事!? この妖気、姉様のものだけど……尋常じゃないわよ!?」
 全てを破壊する悪魔の妹をもってして、こう言わせる程の妖気を咲夜も感じていた。
「分かりません…」
「姿も見えないし…一体どうしたっていうのよ…」
 その時、咲夜はふと思い出した。
「…パチュリー様なら、知っているかもしれません」
「…どういう事?」
「今朝早く、お嬢様が図書館で本を借りている所をお見かけしたのですが……もしかすると、その時借りた本が原因かもしれません。パチュリー様なら、その本の内容を知っているかも…」
「急ぎましょう!」
 フランドールは、何故か妙に急いでいた。
「そ、そんなに急がれなくても…」
「魔理沙もいるのよ!? 姉様の近くに!」
「何ですって!? どうして……」
「分からないわ。でも、感じたの。姉様以外の、微弱だけど、魔力を。あれは…魔理沙だったわ。魔理沙と姉様は、多分一緒の場所にいるわ!」
 その言葉を最後に、フランドールは図書館の方へと飛んでいった。
「あ……フランドール様!」
 咲夜は、小さくなっていくフランドールの姿を必死で追っていった。


  *  *  *


「何、コレ………!?」
「これは…お嬢様………!?」
 その頃、霊夢と美鈴も、尋常でない妖気を感じていた。
「お嬢様…レミリア!? ねえ美鈴、どういう事!?」
「わ、分かりません…でも、この妖気は確かにお嬢様の…」
「一体どうなっているの……?」
 朝に感じた不安はこれだったのか、と霊夢は思った。しかし、理由が分からない事には―――
「霊夢ーーーっ!!」
 突然、遠くから自分の名前を呼ばれた。その声の方向を向くと…
「…フランドール!?」
 フランドールが、自分めがけて飛んできた。そして、目の前で急停止する。
「霊夢! 姉様が、魔理沙が大変!!」
「!!」
 魔理沙、という言葉を聞いて、全身が固まった。
「魔理沙!? 魔理沙がどうしたの!?」
「とにかく、今は説明している時間は無いわ! 一緒に来て!」
 フランドールに強引に手を掴まれ、霊夢は図書館に連れて行かれた。

「あ、あの………?」
 後に残ったのは、美鈴だけだった。


  *  *  *


「………う………あ………」
 真っ暗な空間に、一人の魔女が血だらけで倒れている。魔力を使い果たし、符を使い果たした末の姿であった。
「ハア、ハア……これで………霊夢は………」
 その姿を、見下ろす影。真紅の目がいつまでも妖しく光っていた。


  *  *  *


「これは……結界!?」
 図書館に辿り着いた二人を待っていたのは、強固な結界だった。
「一体、誰が……」
「この魔力の感じ…姉様ね!?」
「レミリアが…!? 一体何で………」
 その時、扉の向こう側から、微かに人の声。
『そこにいるのは、妹様? ……と……霊夢!?』
「パチュリー!? どうしたの!? これ!」
『妹様…レミィが……』
「分かってるわ……それよりも、どうして姉様が結界なんかを!?」
『恐らく……私を閉じ込める為でしょう…』
「どうして!?」
『私が今朝レミィに貸した魔術書は、結界に関するもの…。レミィは、それを使って何かをするつもりなのよ。そして恐らく、誰にも邪魔をされないように、その本の内容を知っている私をまず動けないようにした……』
「そこまでして…魔理沙をどうするつもり……?」
 ぽつりとフランドールが洩らした言葉を、パチュリーは聞き逃さなかった。
『何ですって…!? 魔理沙が、どうかしたの!?』
「よく分からないけど、姉様と魔理沙、同じ場所に居るのよ…もしかして、紅魔館のどこかに結界空間を作って、そこにいるのかも…」
『…嫌な予感がするわ。妹様、早くここから私を出して下さい。あの本の内容なら、大体憶えているから…多分レミィの結界空間も、私達なら破れるかも』
「私『達』?」
 霊夢が、パチュリーに尋ねる。
『私は結界の解き方は知っているけれど、この結界を破る為に使う魔力が足りないのよ。だから図書館から出られなかったの。だから、あなた達の攻撃で結界を弱らせて、その間に私が解く、っていう作業が必要なの』
「そ、それじゃあ、私達は結界を攻撃すればいいのね!? 任せて! 壊すのは得意なんだから!!」
 フランドールが、急に明るくなる。
『それじゃあ、私は結界を解くスペルを唱えているから、その間、結界を攻撃していて』
「オッケーーー!! ……『レーヴァテイン』!!」
 次の瞬間、凄まじい火力を持った炎の帯が、結界を直撃した。
「…嘘!? これだけじゃ、駄目なの!?」
 しかし結界は、ビクともしなかった。
「ほら、霊夢も手伝ってよ!」
 その様子を呆然と見ていた霊夢に、フランドールは手伝うように言った。
「え? あ、うん……『夢想封印』!!」
「『フォーオブアカインド』!!」
 次々と結界に当たっていく弾幕。しかし、それでもまだ結界は強固なままだった。
「あーん、もう! 霊夢、今度は一緒に撃つわよ!」
「う、うん! いくよ、せーの……」
「『封魔陣』!!」 「『カタディオプトリック』!!」
 壮絶な威力の攻撃。それでもまだ、結界は、揺らがない。
「次………いくわよ!!」
「うん!!」

「『495年の波紋』!!!」 「『二重結界』!!!」

 バチバチバチ………!!!
 初めて、結界が揺らいだ。
「くっ……! あと、少しなのに……!」
「もう少し、後押しが………!」

「『セラギネラ9』!!!」 「『ザ・ワールド』ッッッ!!!」

「「!!?」」
 二人の背後で声が響いた瞬間―――

 パリイイイイインッッッッ!!!
 結界が、音を立てて崩壊した。
「――――――」
「――――――」
 突然の出来事に、時が止まったかのように呆然と立つ二人。
「『そして時は動き出す………』なんてね」
 その声に我に返り、後ろを振り向く二人。そこには、美鈴と咲夜が立っていた。
「お二人とも、速すぎます~」
「どうやら、間に合ったみたいですね」
 肩で息をつく美鈴と、涼しげな顔の咲夜。
「美鈴! 咲夜!」
「二人とも、遅いわよ」
 図書館の前に、四人の少女が集まる格好となった。
「あーあ、扉、壊れちゃったわ」
 そしてもう一人、図書館の暗がりの中からパチュリーが姿を現した。
「パチュリー!」
「みんな、どうもありがとう。で、早速だけど、早くレミィを探しましょう。魔理沙も」
「そうだ…パチュリー! 魔理沙は…魔理沙はどうなったの!?」
 霊夢がパチュリーの肩を掴み、揺さぶる。
「ちょ、ちょっと落ち着いて! 私も詳しい事は分からないのよ!」
「………」
「今から探すわよ! 霊夢!」
 急にフランドールが、霊夢の腕を掴んだ。
「ほら、パチュリーも!」
「え……うわっ!」
「きゃっ!?」
 ヒュンッ!
 フランドールは霊夢とパチュリーを掴み、高速で図書館を後にした。
「………あ」
「…後を追いましょう」
 残された美鈴と咲夜は、その姿を追いかけていった。


「―――此処ね!」
 館内を飛び回ったフランドールは、一つの部屋の前で急停止した。
「凄い妖気…ここで間違い無いようね。それにこの結界…レミィが借りた本に書いてあったのもだわ」
 そこに張られている結界を、パチュリーが確認する。
「それじゃあ、早く壊さないと…!」
 霊夢が悲痛な声で訴える。
「待って、この結界…さっきみたいに、あの二人も居ないと難しいわ」
「くっ……!」

「フランド-ル様~~」
「やっと見つけた……」
 その時、残りの二人がやってきた。
「…皆、揃ったみたいね…じゃあ、行くわよ!」
 そして、結界の突破が始まった。


  *  *  *


「………………………」
「もう喋る元気も無いのかしら? …まあいいわ」
 だんだんと呼吸が浅くなっていく魔理沙。レミリアはそんな魔理沙を見て、軽く笑った。
「ハア、ハア……最期に血を吸ってあげる。私、いつもは小食だけど、全部、吸って、殺 し て あげる―――」
 レミリアも荒い息を吐いていたが、魔理沙はそれに気付かなかった。否、気付く事は出来なかった。
「―――――――――――」
 意識が朦朧としていく。その時、魔理沙の脳裏に浮かんだのは、霊夢の笑顔だった。
(―――霊――――――夢―――)
 自然と、涙が零れた。もう、あの笑顔を見る事が出来ないのではないかと思ったら、堪らなく悲しくなった。

「………魔理沙、サ ヨ ウ ナ ラ―――――――――」

 ――――――バタンッッッ!!!

 闇の静寂を破る、大きな音。
「―――!!?」
 部屋の結界が、破られた音だった。
「お嬢様ッ!!」
「姉様ッ!!」
「―――レミィ!!」
「――――――魔理沙ッッ!!!」
 続いて、次々と部屋に入ってくる少女達。
「あなた達…どうして」
 驚きの表情を見せるレミリア。
「姉様、これは一体どういう事? 説明して貰えるかし―――」
 フランドールの言葉は、しかし途中で途切れた。
 レミリアの後ろに、何かが倒れている。
 この場の誰もが知っている、あの魔女が―――

「―――――――――魔理沙ああぁぁっっっ!!!!」
 霊夢の悲鳴が、部屋に響き渡る。そのまま霊夢は魔理沙に駆け寄った。
「魔理沙!! 魔理沙あっっ……!! どうしたのっっ…!? 返事してよおっっ……!!!」
 霊夢が魔理沙を抱き起こした。しかし、魔理沙からの返事は無い。
「やだっっ……!! やだよおっっ……!! 死んじゃやだあっ……!! 魔理沙あっっ……!!」
 その様子を見ていたフランドールが、ハッと顔を上げる。
「まさか、姉様………あなたが魔理沙を………?」
「!!!?」
 その場に居た全員が、息を呑んだ。
「そ、そんな…お嬢様…」
「……レミィ……あなた……」
 レミリアに、視線が注がれる。そして、開かれたレミリアの口から出た言葉は―――
「―――そうよ。私が、やったの」
「――――――!!!」
 瞬間、霊夢はレミリアの胸ぐらを掴んでいた。
「レミリア!? どうして!? どうしてこんな事したのッッ!!?」
「………」
 レミリアからの、返事は無い。
「答えてッ!! 答えてよッッ!!!」
 顔をレミリアにぐっと近付ける霊夢。そして、レミリアがぽつりと言った。
「………………魔理沙が悪いのよ………私の、霊夢を…………」
 そこまで言って、不意にレミリアの体がぐらりと傾いた。
「!?」
 霊夢が押した訳ではない。自然に、そうなったのだ。そして、
 どさ………
「お嬢様っ!!」
 レミリアも、糸が切れた操り人形の様に、地面に倒れ込んだ――――――


 その後、紅魔館はいつにも増して大騒ぎとなった。
 まずレミリアとの戦いで瀕死の重傷を負った魔理沙の手当て。
 そして、急に倒れたレミリアの介抱。
 この二つの事件で、少女達は一睡もせずに夜を明かしたのだった。



 朝の紅魔館。いくつかある客間の一つで、霊夢とフランドールはソファに座っていた。二人とも、昨日の一件で疲れきっていた。
「………魔理沙………」
 もう何度目になるのか、霊夢が呟いた。一晩中泣きじゃくったせいか、目は赤く腫れている。
「…霊夢…」
 そんな霊夢を一晩中慰めていたフランドールの顔も、疲労の色が濃い。
 とにかく、二人とも疲れきっていた。
 ガチャ………
 その時、客間のドアが静かに開いた。中に入ってきたのは、咲夜だった。
「……咲夜……どうしたの?」
 ほとんど動かない霊夢に代わって、フランドールが対応する。
「魔理沙の事で………」
 咲夜がそこまで言った時、霊夢が急に立ち上がり、叫んだ。
「魔理沙は、どうなったの!?」
 その様子を見て咲夜は、霊夢が魔理沙の事をどれだけ心配しているかが、痛い程分かった。そして、心底安心した。
「…もう、大丈夫。魔理沙は、無事よ……」
 その言葉を聞き、霊夢はソファに体を投げ出し、また涙を零した。
「良かった………魔理沙………!!」
 その涙は、悲しみの涙では無く、喜びの涙。そんな霊夢の姿を見て、フランドールも咲夜も、ホッと息をついた。


 その後、霊夢は魔理沙が休んでいる一室へと足を運んだ。その部屋では、魔理沙以外にもパチュリーと美鈴が寝息を立てていた。
「あの後パチュリー様が治癒魔法、美鈴が治癒気功を寝ずに行ったのよ。魔理沙が生きているのは、彼女達のおかげね」
 そう言いながら、咲夜は眠っている二人の髪を優しく撫でた。
「二人とも…ありがとう…」
 パチュリーと美鈴に頭を下げ、魔理沙の所へと向かう霊夢。
「……魔理沙……」
 その姿を見て、また涙が零れる。魔理沙の体には、いたる所に包帯が巻かれ、戦いの激しさを物語っていた。しかし、規則正しく上下に揺れるその胸を見て、生きているという事を確認出来た。霊夢には、それが何より嬉しかった。
「今、魔理沙は眠っているわ。パチュリーと美鈴が治したと言っても、完全に傷が癒えた訳では無いし…。しばらくは、絶対安静ね……」
「そう…でも、本当に、良かった……魔理沙………」
 霊夢は、魔理沙の髪を梳いた。少し、魔理沙が笑ったような気がした。


「霊夢……こんな時にどうかと思うけど………」
 魔理沙の部屋に来てからしばらくして、咲夜がためらいがちに口を開いた。
「お嬢様に…会って貰えないかしら……?」
 一瞬、霊夢の体が固まる。しかし、すぐさま咲夜の方へ向き直り、
「……分かったわ。………色々聞きたい事もあるしね………」
 そう、告げた。
「…ありがとう」
 頭を下げる、咲夜。
「霊夢…いいの?」
 側で様子を見ていたフランドールが、心配そうに尋ねる。
「いいのよ、フランドール…心配してくれて、ありがとう。…そうだ、魔理沙を看ててくれる?」
「え、ええ…」
 戸惑いながらも返事をするフランドールに微笑んで、
「それじゃあ行きましょう…咲夜」
 部屋を後にする霊夢。
「…はい」
 咲夜は、その後に続いた。


 レミリアの自室前。咲夜は霊夢に最後の確認をした。
「…本当にいいの? 無理してるんじゃあ……」
 不安げな表情で霊夢を見る咲夜。
「…いいのよ。レミリアがあんな事した理由、ちゃんと聞きたいしね…」
「……そう、分かったわ」
 霊夢の決意を聞き、咲夜はレミリアの部屋の扉を叩く。
「…お嬢様、咲夜です。お休みのところ失礼致します」
 静かに扉を開け、霊夢に入室を促す。霊夢は、意を決して部屋に入った。
「―――レミリア」
「………霊夢………」
 レミリアは、ベッドに横になっていた。昨日のような強烈な妖気は感じられない。むしろ普段よりも弱々しくなっており、レミリアの力を知る者がこの姿を見たら、信じられないと思うだろう。
「お嬢様は昨日の結界で、ほとんどの魔力を使い果たしてしまったんです…」
 咲夜が説明する。その言葉を聞き、霊夢は複雑な表情を見せる。
「咲夜……少し、席を外してくれない? 霊夢と二人っきりで話がしたいの」
 ベッドから体を起こし、レミリアが咲夜に告げる。
「………畏まりました」
 主人に一礼し、咲夜は部屋の外に出て行った。
 そして、部屋にはレミリアと霊夢が残された。

「霊夢…まずは座って……」
「…うん」
 レミリアに促され、ベッドの側にあった椅子に座る霊夢。
「………」
「………………」
 沈黙が、場を支配する。どちらかが話を切り出すかを待っているようだった。
「……レミリア……」
 最初に口を開いたのは、霊夢だった。
「………どうして…どうして、あんな事…」
 魔理沙を重症に追い込んだ事。当然の疑問であった。
「………」
「お願い、答えてよ…でないと、私レミリアの事が信じられなくなる…」
 すると、レミリアはこんな事を言った。
「霊夢…私の事………好き?」
「えっ……?」
 予想外の答えに、面食らう霊夢。
「私は…霊夢の事、好きだよ」
 霊夢の答えを待たずに、言葉を続けるレミリア。
「初めて出会った時は、まさかこんな気持ちになるなんて思わなかったわ…いつの間にか、霊夢の存在は私の中で大きくなっていたのよ」
「………」
「でも…霊夢はどうなのかな…私の事…どう思っているのかな…?」
 霊夢は、戸惑いながらも答えた。
「そりゃあ…好き、よ」
「でも………!!」
 不意に、レミリアが大声を上げる。
「でも、霊夢の言う私に対する『好き』って、魔理沙に対する『好き』とは違うんでしょう!?」
「!!」
 びくりと体を震わせる霊夢。
「レミリア…何を……」
「私…一昨日の夜…聞いちゃったんだもん……霊夢と、魔理沙が……」
「!!! レミリア、あなた……!!」
 強い口調で止めようとする霊夢を、更に大声で遮るレミリア。
「聞くつもりなんてなかった!! ……聞きたくなんかなかった………!! でも、聞いちゃったのよ…! ごめんなさい……!」
「………」
「あの時、自分でもどうしようもないくらい、私の心が酷く冷えていくのを感じたわ…。この感情が何なのかは知っていたつもり…でも、止まらなかった……! 気付いたら、魔理沙を憎んでいたわ……」
 胸に溜まっていたものを吐き出す様に、告白するレミリア。その言葉を聞き、霊夢は困惑した。どうしたらいいのか、分からなかった。
「ねえ…霊夢…私を…魔理沙みたいに『好き』になれる……?」
「………それは………」
 どうなのだろう。確かに、レミリアも霊夢にとって大切な人である。しかし―――
「―――ごめんなさい……私は………」
 言いながら、胸が詰まった。自分は、とても残酷な事を言っているのかもしれない、と。
「……やっぱりね……。あーあ……私じゃ駄目だったかあ…」
 しかし、レミリアの反応は、霊夢にとって意外なものであった。
「…レミリア…?」
「やっぱり、一緒にいた時間が違うもんね……。これでも私、努力したんだよ? 魔理沙に負けない様に、って……」
 泣かれるか、憎まれるか。そう思っていた霊夢だったが、レミリアはそうでは無かった。
「結局、霊夢は魔理沙の事が大事で…私、嫉妬しちゃって、ホントに、自分でも信じられないくらいに感情がコントロール出来なくなって、魔理沙に凄く酷い事しちゃったけど…霊夢…許してくれる?」
「え………」
「勿論、許さなくったっていいのよ? ううん…許されるなんて、思ってない。あんな事、しちゃったんだもん……」
 レミリアの表情が、曇る。
「霊夢………ごめんね…………」
「レミリア…私に謝らなくてもいいわよ……後でもいいから…魔理沙に謝ってあげて……」
 霊夢は、レミリアの肩を抱き寄せた。
「うん………」
 その後、二人はしばらくの間寄り添っていた。


「それじゃあ、私はそろそろ行くわね……」
 椅子から立ち上がり、霊夢が言った。
「うん…」
「また、会いましょ」
「え……いいの?」
「当たり前でしょ……あ、でも、こっそり夜に来るっていうのは、止めてくれる?」
「う、うん……」
 二人して、赤くなる。
「それじゃあ、体、早く治しなさいよ…」
「うん。………霊夢……魔理沙を、幸せにしてね……」
「言われるまでもないわ」
 そう言って、霊夢は笑った。

「…失礼します」
 霊夢が部屋を去った後、咲夜が入ってきた。
「お体の具合は、いかがですか?」
「もう大分いいわ。……霊夢は?」
「魔理沙様のお部屋でお休みになっています」
「………そう」
 ふう、と溜め息を一つ吐く。
「お嬢様……」
「あーあ、霊夢にフラれちゃった…」
 一人、呟くように。レミリアは、ぽつぽつと語り始める。
「不思議なものね…私、一人の事をこんなに好きになるなんて、思ってもみなかった…」
「……………」
「さて、そろそろしっかりしなくちゃね…。いつまでもこんな調子じゃ、みんなに笑われるわ…恥ずかしい。こんな事くらいで、泣いちゃ―――」

 ぎゅっ………

「あ………」
 レミリアの言葉は、途中で遮られた。―――咲夜の抱擁によって。
「お嬢様……恥ずかしくなんて、ありませんよ」
「さく―――や―――」
「私にはお嬢様の悲しみを代わってさしあげる事は出来ませんが………私で良ければ、いつでもぶつけて頂いて、構わないのですよ―――」
 抱きしめる腕に、力を込める。
 悲しみを押し出す様に、ぎゅっと――――――
「さ………く、や………………う、うう………………わあああああああああ……………………!!」
「お嬢、様………」
「うああああああああ……………!! ひぐっ、ううっ………………霊、夢ううぅ………………!!」
「…………」
「ふぐっ、ううっ…………!! ううううううううっっっ………………!!!」
 
 一つの恋が、終わりを告げた。願わくは、いつの日か、この少女にその悲しみ以上の幸せを―――



 その後。
「魔理沙、もう動いても平気なの?」
 ここは、博麗神社。紅魔館での事件の後、目を覚ました魔理沙は、事の顛末を聞いた。魔理沙は特にレミリアを責め立てる事はしなかったが、レミリアの事を考え早々に紅魔館を出よう決め、咲夜に伝えた。
 しかし、レミリアとの戦いで負った傷は想像以上に重く、パチュリーと美鈴の治療だけで完治する事は無かった。そこで、博麗神社で静養する事になったのだ。
「ああ、まだ節々が痛むけどな。普通の生活をする分には大丈夫みたいだ」
「無茶しないでよ…? 心配なんだから…」
「分かってるよ、霊夢。というか…まだ無茶は出来そうに無い」
 布団から体を起こしていた魔理沙が、体のあちこちを触る。以前より減ったとはいえ、未だに包帯が残っている箇所も多い。
「ほんとに、大丈夫…?」
 霊夢は心配そうに魔理沙の体を見た。
「そんな顔すんなって…見ているこっちが辛くなるぜ?」
「あ、ごめん………」
 しゅんとする霊夢の頭を、魔理沙が撫でる。
「…ありがとう、霊夢。お前さんがいたから、早く元気になれたよ」
「魔理沙………んっ………」
 触れる唇。温かい。
「あ~、早く元気にならないとな~。霊夢と色々したいからな~」
「なっ……ま、魔理沙ったら…恥ずかしい………」
 ふふふ、と魔理沙が怪しい笑みを浮かべる。しかし、すぐに真剣な表情になる。
「その前に、体が治ったらレミリアに会いに行かないとな……」
「………魔理沙………」
 複雑な表情を浮かべる霊夢。

 あれ以来、レミリアは神社に来ていない。霊夢の方から紅魔館に行く事はあったが、その時のレミリアは、何かを吹っ切った様な表情をしていた。それでも、魔理沙の話題を出す事は無かった。それに関しては、未だに気にしている様だった。でも、いつかまた、一緒に笑い合える日が来ると思う。それまでは―――

「ま、今は体を治すのが先だ。霊夢、腹減ったぜ」
「もう、魔理沙ったら………はいはい」
 霊夢は、立ち上がった。今は、魔理沙と一緒にいる時間を楽しめる事が、嬉しかった。


 神社に吹き込む、一陣の風。
 博麗の巫女は、愛する魔女と一緒に、秋の足音をその身に感じていた―――


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Last-modified: 2018-01-07 (日) 04:56:13 (2293d)